2007年3月14日水曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-07

「「六十六カ国の町普請」と呼ばれた江戸町の建設は、全国の大名に総石高二二〇万石の石高割りで一〇〇〇石につき一名の人夫を徴発させた大工事であった。最初の普請は、城の北方平川の対岸にある神田山(駿河台)を切りくずし、この土で外島(豊島)の州崎を埋め立て、市街地を造成することであった。動員された千石夫は総数三〜四万人にも達したと推定されている。(村井益男「江戸城」)。ここに日本橋から京橋・新橋に至る下町の町々が生まれ、一町の建設に一国の人夫たちが動員されたということから、出雲町・尾張町・加賀町などの町名がつけられたという。」とある。
 江戸町、千石夫、外島、日本橋、京橋、新橋、下町、出雲町、尾張町、加賀町などを知った。
 江戸町の建設が現代も引き続いて行われているというイメージを持つことができた。
 それにしても町が型として設計されていたことに驚きを隠しえない。

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