2007年3月9日金曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-02

 「享保四年(1719)には本所・深川の地が、本所奉行から町奉行の支配へ移され、さらに延享二年(1745)には多数の寺社の門前町が町奉行の管轄下におかれ、惣町数は一六七八町に増加している。」とある。
 江戸八百八町というのは誇張でも何でもなかったことがわかる。当時の町人人口が 50 万人を越える増加をみせるとされているから、一町当たりほぼ 300 人の町ということになる。
 江戸の町というのは本当に小さな町で、町人はみな顔見知りであったと思われる。
 このような町の姿を今まで想像したことは無い。想像力の限界内で、ほとんど現在の町と似ている町を想像していたに過ぎなかった。

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