2007年3月15日木曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-08

 「近世の城下町は、封建領主によって権力的につくりだされたものであったから、町割りにおいても、領主階級の生活維持に必要な諸商・諸職を集団的に移住させ、右に見られるような町の構成がおこなわれたのである。
つづく。」
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2007年3月14日水曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-07

「「六十六カ国の町普請」と呼ばれた江戸町の建設は、全国の大名に総石高二二〇万石の石高割りで一〇〇〇石につき一名の人夫を徴発させた大工事であった。最初の普請は、城の北方平川の対岸にある神田山(駿河台)を切りくずし、この土で外島(豊島)の州崎を埋め立て、市街地を造成することであった。動員された千石夫は総数三〜四万人にも達したと推定されている。(村井益男「江戸城」)。ここに日本橋から京橋・新橋に至る下町の町々が生まれ、一町の建設に一国の人夫たちが動員されたということから、出雲町・尾張町・加賀町などの町名がつけられたという。」とある。
 江戸町、千石夫、外島、日本橋、京橋、新橋、下町、出雲町、尾張町、加賀町などを知った。
 江戸町の建設が現代も引き続いて行われているというイメージを持つことができた。
 それにしても町が型として設計されていたことに驚きを隠しえない。

2007年3月13日火曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-06

 「「江戸宿」というよびかたは、すでに北条氏の時代からもちいられていた。天正十年(1582)の江戸城代遠山宗見(直景)の伝馬手形に「江戸」があり、同十二年の北条氏政の徴税書にも「江戸宿小代官・百姓中」(武州文書)とある。とすれば、入国後の家康も、江戸の町人居住地を「江戸宿」と総称したのではないだろうか。ともあれ、天正二十年十月には、すでに「三人の年寄」が存在していたこと、それ以前にも連雀町が三人の年寄たちに支配されていたことが確認できよう。」とある。
 江戸宿、連雀町、三人の年寄などを知った。北条氏の時代の江戸城周辺には江戸の町はなく、江戸宿があったということであろう。
 「年寄ということばは、老分の者という意味であり、いわゆる「庄屋仕立て」という徳川氏の支配機構の中では、後に老中とか若年寄という職名が生まれるように、支配の責任者を意味することばであった。」
 年寄、老分、庄屋仕立て、老中、若年寄。支配の責任者などを知った。年寄は北条氏の時代からあり、徳川氏の時代に引き継がれていったということであろう。
 「「女喜遊笑覧」によれば、「れんじゃく」とは物を背負う道具のことで、のちには行商人のことをよぶようになったという。この商人たちは領内の商品流通のにない手であるとともに、多様な情報を集めることができたため、領主は鑑札を与えて運上を徴収し、これを統制した。」とある。
 れんじゃく、行商人、鑑札、運上、徴収などを知った。北条氏の時代から連雀町があり、れんじゃくを使っている行商人がいて、行商人の町を支配する年寄がいて、行商人に鑑札を与えて運上を徴収する領主がいたということであろう。

2007年3月12日月曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-05

 「裏店に住む人々の職業は多様であった。色々な職業が江戸で必要とされたことにもよるが、同時に面倒な奉公などを嫌った人たちが、裏店の貧しくとも気楽な生活を好んだという点も、江戸では欠落人が多かったことからも推測されるのである。これらの人々の職業は大別して、棒手振など天秤をかついで魚や野菜などを売りあるく小商人や、大工・左官をはじめ多様の小職人、人足などの日雇いの三種にわかれる。幕末のある町では、個数一四三戸のなかに七四種類もの職業があったほどである。」とある。
 裏店に住んでいる人たちはどんな人たちなのか、どんな職業があったのかを知った。欠落人という言葉も知った。
 それにしても町というものが小さな範囲でしかなかったうえ、たくさんの人が住んでいたということが驚きである。
 江戸の裏店などの様子が書かれている小説を再び読んでみたい誘惑にかられる。これから読めばまた違った味わい方ができるだろうと思うからである。

2007年3月11日日曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-04

 「地借人は土地を借りている商人などであるから、収入もあり相応の生活をしていたと思われる。同様に店借人でも表店借人は表通りに面した家を借り、奉公人を抱えている商家などが多かった。これにたいし、裏店借人というのは、落語の八つぁん、熊さんといった裏長屋の住人である。町の表通りから横丁のドブ板を踏んで奥に入ったところに裏長屋があった。」とある。
 一つの町に表と裏があって、表の商人の旦那と裏長屋の八つぁん、横丁のご隠居が一緒にいるという。町の構造がだんだん目に浮かぶようになってきた。

2007年3月10日土曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-03

 「名主のもとには町がある。町は道路をはさんで両側にあったから、町の両端には木戸がおかれた。町内に家屋敷を持っている町人が家持ちである。しかも町内で土地や家を貸している者は居付地主とも呼ばれた。これに対し、他町に居住し、土地を町内に所持する者は、たんに地主と呼ぶ。家持(居付地主をふくむ)にしろ地主にしろ、不動産や家屋の管理は差配人である家守にまかせることが多かった。これが大家あるいは家主である。「大家といえば親も同前、店子といえば子も同前」ということばは、管理人である家守が、地主から家を借りている店借人(店子)にたいして親子関係と同様の権威をもっていたことをあらわしている。」とある。
 江戸の町は道路をはさんで両側にあったこと、町の道路の両端には木戸があったことがわかる。現在では、町が道路の両側で別の町になっていることがあり、道路を塞ぐことはもはやできない。
 江戸の町の、家持ち、地主、家守、大家、家主、店子について始めて知ったことが多い。落語などを通して知っていたつもりであるが、その知識は極めてあいまいで知っていたとはとてもいえないことがわかった。
 家守(やもり)ということばは聞いたことが無い。ヤモリといえば、夜に家の窓にやって来るイモリやサンショウオに似た小動物しか知らない。
 大家、家主、家守は差配人であるというが、家守と同じように差配というのも聞いたことが無い気がする。
 大家が家主で家守であるというが、違いがあるに違いない。
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2007年3月9日金曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-02

 「享保四年(1719)には本所・深川の地が、本所奉行から町奉行の支配へ移され、さらに延享二年(1745)には多数の寺社の門前町が町奉行の管轄下におかれ、惣町数は一六七八町に増加している。」とある。
 江戸八百八町というのは誇張でも何でもなかったことがわかる。当時の町人人口が 50 万人を越える増加をみせるとされているから、一町当たりほぼ 300 人の町ということになる。
 江戸の町というのは本当に小さな町で、町人はみな顔見知りであったと思われる。
 このような町の姿を今まで想像したことは無い。想像力の限界内で、ほとんど現在の町と似ている町を想像していたに過ぎなかった。

2007年3月8日木曜日

西荻図書館で借りた「江戸の町役人」を読む-01

 「町役人とは、一般に町名主を筆頭に、家主の月行事のことを指している。しかし本書では、惣町支配の町年寄をも広義の町役人の範囲と考えている。他方、町奉行所の与力・同心などは「町方役人」であり、本書の対象外であると考える。」とある。
 町名主と月行事、惣町支配の町年寄、町役人と町方役人など、色々な役があることを知った。また奉行所も数々の変遷をしていることも知った。江戸時代を背景にした小説を読んできているが、役については、あいまいのまま読み過ごしてきたな、と思う。
 現代の都市生活が複雑なように江戸の生活も複雑であったことが次第にわかってきた感じがしている。

2007年3月7日水曜日

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2007年3月6日火曜日

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2007年3月5日月曜日

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2007年3月4日日曜日

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2007年3月3日土曜日

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2007年3月2日金曜日

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2007年3月1日木曜日

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